普通の調理より低温調理のほうが低い温度で調理するので、食中毒などの食の安全の観点からも加熱時間と温度を気にしますよね。そのようななかで、『63℃30分と同等』『75℃1分と同等』といった言葉が独り歩きしています。知りたいのは63℃30分、75℃1分とすでに知っている数字ではなくその他の数字なのに厚生省など国のHPには見つけられませんでした。ですが、滋賀県の食品安全監視センター通信で
通常、一般細菌でZ=5~8℃、耐熱性の芽胞細菌でZ=7~11℃です。
Z値がわかれば、別の加熱温度での加熱時間を算出することが出来ます。
例えば、Z=8度の場合、食肉製品の加熱条件63度、30分間を基に算出すると71度、79度、87度での加熱時間は下記の表のとおりとなります。
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加熱温度 加熱時間 計算式
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63度 30分間 (法に規定される加熱殺菌条件)
71度 3分間 63+8度 30分間×1/10
79度 18秒間 71+8度 3分間×1/10
87度 2秒間 79+8度 18秒間×1/10
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腸管出血性大腸菌O157の加熱殺菌条件75℃、1分間以上も食肉製品の加熱殺菌条件から算出することができます。(Z=8度 の場合)
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加熱温度 加熱時間 計算式
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75℃ 57秒間 63+12 度 30 分間×〔(1/10)の(12/8)乗〕
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また、千代田区食の安全自主点検店公表制度のQ&Aのなかに
点5 鶏肉等について、75度1分と同等以上の加熱条件を教えてくだい。
A5 すぐに喫食するか、冷蔵で保存され比較的短期で消費される食品の
63度30分、Z値8を想定しています。具体的数値は以下のとおりです。
比較的緩い条件ですので、なるべくそれ以上の加熱に努めてください。
なお、二枚貝はノロウイルス対策として、より厳しい条件の加熱をお願いしています。
63度 30分間 (法に規定される加熱殺菌条件)
71度 3分間 63+8度 30分間×1/10
79度 18秒間 71+8度 3分間×1/10
87度 2秒間 79+8度 18秒間×1/10
*75度は約1分になります
という回答を見つけました。この何がポイントかというと63℃30分、75℃1分以外の温度の時間も教えてくれている点、一般細菌でZ=5~8℃、Z値8を想定しているという点。(Z値については以下で説明)
加熱処理による微生物の死滅予測
殺菌工学という述語は必ずしも適切ではないかもしれないが,いわゆるD値,Z値を用いてその微生物の熱死滅特性を表わそうとする考え方であり,BallおよびStumboらなどによって発展してきた.この考え方は10を底とする常用対数を用いるため,直観的に理解しやすく,一般によく用いられている.前述したように,ある微生物細胞を一定温度T(℃)で加熱するとその生残菌数の常用対数と処理時間との間には一般に直線関係が知られている.その直線部分においてある時間における菌数を1/10にするために必要な時間をD値(分)という.したがってこの直線の傾きの逆数がD値に等しい.ある温度でのD値がわかっている場合,t分後の生残率N/N0は次の式で表わすことができる.
$$N/N_{0}=10^{-t/D}$$ただし,N0,Nは初期菌数および時間における菌数である.次に,ある温度T(℃)に対して,D値の対数値をプロットした曲線をTDT曲線(Thermaldeathtimecurve)という.TDT曲線は一般に直線性が認められている.そこであるD値が1/10となるような温度変化量をZ(℃)とよぶ.したがって,ある微生物についてそのZ値と対照とする温度TrでのD値が求められれば,ある温度TにおけるD値はつぎの式を用いて求められる.
$$D=D_{r}10^{\left( Tr-T\right)/Z}$$出展引用:藤川浩(2002)加熱処理による微生物死滅の予測とその評価
D値とZ値
63℃30分と同等を理解するうえでおさえておかないといけないD値とZ値ですが、難しいことはなく
D値とは、菌数を1/10にするのにかかる時間
Z値とは、D値を1/10にする温度差(℃)
『63℃30分』と同等の加熱時間 62℃の場合
殺菌工学モデルの数式
$$D=D_{r}10^{\left( Tr-T\right)/Z}$$
に、T=62 Tr=63 Dr=30 Z=8(想定)を当てはめて
$$D=30×10^{\left( 63-62\right)/8}$$
という風になります。これを計算すれば、D=40.0056となり『63℃30分』と同等な62℃での加熱時間は40分というのが答えになります。
63℃30分と同等の加熱温度と時間
低温調理をしている人が気になっている63℃30分と同等の加熱温度と時間ですが、62℃の場合と同じ様に計算をすれば、必要な加熱時間が求められます。
※低温調理器の設定温度と同じ温度に肉の中心温度がなるとは考えず、2~0.5℃低い温度で63℃30分の加熱温度と時間をみてください。
63℃30分と同等の加熱温度と時間 (Z=8の場合)
加熱温度 | 時間 (秒以下切り上げ) |
55℃ | 5時間 |
56℃ | 3時間44分59秒 |
57℃ | 2時間48分43秒 |
58℃ | 2時間6分31秒 |
59℃ | 1時間34分53秒 |
60℃ | 1時間11分9秒 |
61℃ | 53分21秒 |
62℃ | 40分1秒 |
63℃ | 30分 |
64℃ | 22分30秒 |
65℃ | 16分53秒 |
66℃ | 12分40秒 |
67℃ | 9分30秒 |
68℃ | 7分7秒 |
69℃ | 5分21秒 |
70℃ | 4分1秒 |
71℃ | 3分 |
72℃ | 2分15秒 |
73℃ | 1分42秒 |
74℃ | 1分16秒 |
75℃ | 57秒 |
※一番温度の低い中心温度が指定の温度になってからの加熱時間です。
他のパターンは63℃30分と同等の加熱温度と時間Ⅱにあるのでそちらを参照してください。
この表をグラフにしたものですが、加熱温度が低くければ低いほど必要な加熱時間は大幅に増えるのがイメージできると思います。
0.1℃単位の細かい数値が知りたい方や他のZ値で計算したい方は
$$D=D_{r}10^{\left( Tr-T\right)/Z}$$
にZに代入して試してください。windows標準の電卓でも関数の計算も簡単にできるので難しいことはありません。
中心温度が設定温度に近づくにはどれくらいの時間がかかるかの目安については以下の表を参考・目安程度にしてください。脂分の多い肉の場合はこの下の表より時間がかかると考えてください。詳しくは低温調理 気になる数字〈温度と時間〉で書いてます。中心温度を温度計で測ることをおすすめします。
解凍した肉が水温より0.5℃低くなるまでのおおよその加熱時間
厚さ mm | 板状 | 円柱状 | 球状 |
5 | 5分 | 5分 | 4分 |
10 | 19分 | 11分 | 8分 |
15 | 35分 | 18分 | 13分 |
20 | 50分 | 30分 | 20分 |
25 | 1時間15分 | 40分 | 25分 |
30 | 1時間30分 | 50分 | 35分 |
35 | 2時間 | 1時間 | 46分 |
40 | 2時間30分 | 1時間15分 | 55分 |
45 | 3時間 | 1時間30分 | 1時間15分 |
50 | 3時間30分 | 2時間 | 1時間30分 |
出展:Douglas E. Bakdwin (2012)“Sous Vide Cooking: A review”International Journal of Gastronomy and Food Science 1 pages15-30 引用抜粋
D値を使ったアプローチによる微生物の死滅予測の限界
55℃より低い温度ではデータ量が十分ではなく、調理時間を設定するD値を使ってのアプローチは、適切でない場合があり十分に安全とはいえない。(MPI Technical Paper)例えば、55℃以上のD値とZ値を使って54℃のD値を計算してもその値が本当に確かなものとはいえないので、不確かなD値を使ってのアプローチでは安全かどうかわからない。
ましてや一個人が簡単にアクセスできる論文を読み漁ったとしても、集められる様々な菌・ウイルスのD値のデータ数はしれています。個人的に調べても大体が55℃以上ものでした。加えて他の気になる点もあり、55℃より低い温度での低温調理はお勧めできません。
60℃以下の温度での調理中にウイルスの不活性化または生存を説明するためのウイルスに関するデータは不十分。ノロウイルスおよびE型肝炎のための細胞培養システムが確立していないので、これらのウイルスの不活性化の理解を妨げている。 現在の検出方法は、検出されたウイルス成分が生存可能なウイルスに由来するのか、致死的に損傷されたのかを判定することはできない。
調理時間の予測
「63℃30分と同等の加熱温度と時間」に「水温より0.5℃低くなるまでのおおよその加熱時間」を足せばいいのですが、設定温度が60℃の場合、肉の中心温度は59.5℃程度であり「63℃30分と同等の加熱温度と時間」を考えるときは中心温度57.5~59.5℃くらいと想定して調理時間を予測してください。逆に言えば、中心温度60℃で考える場合、低温調理器の設定温度は60.5℃~62.5℃と考える。調理時は温度計で中心温度を確認することを勧めます。
まとめ
この数字はあくまで食中毒にならないであろう温度と最低限の加熱時間と考えて、低温調理を楽しんでください。どんなに温度と時間に注意を払っても食材自体が食中毒の原因菌などにひどく汚染されていたらリスクはあります。低い温度でギリギリの加熱時間が一番おいしいというわけでもないので食の安全・安心も気にかけてください。また、ウイルスによる汚染が考えられる食品(豚レバー、鹿、イノシシ、かきなど)については低い温度での低温調理はお勧めできません。微生物やウイルスの知識なしに55℃より低い温度での低温調理もお勧めできません。(知識があってもですが)
高齢者、妊婦、小児等の一般的に抵抗力の弱い方については、より一層の注意が必要です。
また、肉の温度と時間だけでなく、調理環境など他の衛生面にも注意してリスクを減らしてください。食中毒のリスクを増やさないために>>
追記:リンクのほうで63℃30分と同等の加熱温度と時間(Z値8と6.5、5の3パターン)で63℃以下の温度は0.5℃刻みで表にまとめました。63℃30分と同等の加熱温度と時間(0.5℃刻み)
低温調理器の設定温度と水温の確認に、肉の内部温度の確認のために先がとがっていて刺して温度が計れる下のようなタイプの温度計があったほうがいいと思います。
蛇足
上の表ではよくわからないけど安心できない、Z値変えて計算するのが面倒、低めの温度で低温調理やりたいけどなんだかなという人に、下の表は一応63℃30分と同等以上にはなっています。この元のデータは、ニュージーランドの1次産業省(Ministry for Primary Industries)のレポートにある95パーセントタイル(これは、製品の特性による病原体の耐熱性の変動を考慮し、調理を生き残り、病気の危険を呈する可能性が最も高い病原体の最も耐熱性の株からのデータを組み込む)D値から導き出されたものです。
すべての肉(ウイルスに汚染されている恐れのあるものを除く)に対して使える加熱温度と時間一覧です。更なる安全を考えるならこの時間に7/6をかければ、初期の菌数を10000000分の1にするのにかかる時間が求められます。
見かけた中で一番保守的だったリステリア菌のD値を使って作った6Dを達成する加熱温度と時間
加熱温度(℃) | 時間 (分) |
55 | 573.6 |
56 | 397.2 |
57 | 274.8 |
58 | 190.2 |
59 | 131.4 |
60 | 91.2 |
61 | 63 |
62 | 43.8 |
63 | 30.6 |
※ 時間は中心温度がその温度になってからの時間です。
6Dとは菌数を1000000分の1にするのにかかる時間
※percentile :計測値の分布(ばらつき)を小さい数字から大きい数字に並べ変え、パーセント表示することによって、小さい数字から大きな数字に並べ変えた計測値においてどこに位置するのかを測定する単位。例えば、計測値として100個ある場合、95パーセンタイルであれば小さい方から数えて95番目に位置する
松村吉信・中田訓浩(2011)知っておきたい殺菌・除菌・滅菌技術
Douglas E. Bakdwin (2012)“Sous Vide Cooking: A review”International Journal of Gastronomy and Food Science 1 pages15-30
‘Review of Microbial Pathogen Inactivation Relevant to Sous Vide Cooking at Temperatures below 55°C’ MPI Technical Paper No: 2017/35 Prepared for MPI by Beverley Horn and Joanne Hewitt (ESR) Helen Withers, Lisa Olsen and Janet Lymburn (MPI) August 2016
Standardising D and Z values for cooking raw meatFinal Report MPI Technical Paper No: 2016/05